どうも、ニシキドアヤトです。
突然ですが、引っ越しってめちゃくちゃダルくないですか?
本当に突然すみません。「お前はいつも突然だよな」とよく言われます。
この春、大阪から東京に引っ越してきました。
現在29歳である僕の人生では、もうこれで5回目の引っ越しです。
引っ越しをするたびに僕は「クッソダル~~~~~~。マジでもう一生引っ越しなんてせんぞ」と心に固く固く誓うのですが、人間とは心移ろう生き物。
どうしても訳アリで引っ越しを余儀なくされることもあるのです。
ただ、今思い返してみれば、これまでの引っ越しは全部自分の人生のターニングポイントだったな...…と思えます。
人生ではじめての引っ越しは2016年の2月、僕が25歳の時。
高校卒業後、新卒で入社した大手家電量販店で約7年ほど働いていたんですが、なぜか自己啓発本にハマり「東京でひと花咲かせてぇなぁ」という、ひと花どころか脳内お花畑な考えから上京を決意しました。
思い立ったが吉日、すぐに自分が転職できそうな会社を探し、東京まで面接に行き、見事求人広告の代理店営業の内定をもらったところでふと思いました。
「引っ越しってどうやってするんだ???」
ネットでググれば出るわ出るわ、今までの人生で聞いたこともない名前をした引っ越しと転職に必要な書類の数々。
転出届...? 転入届...? 失業認定申請書...? え、ハローワークにも行かないといけないの...?
なんだそれ…...。学校でも習ってないし、進研ゼミでもやってないぞ?
「こういうのもさ! 学校でさ! 教えといてよ!! ねぇ?!」
と、誰にもぶつけられない怒りと、「もう二度と引っ越ししたくねぇ」という思いを胸に、なんとか手続きをだいたい大体終え、はじめての引っ越しを終えたのでした。
部屋はありがたいことに転職先の社宅があったのですが、そもそも電気やガス、水道といったライフラインなんて契約したことなんてないし、免許証やクレジットカードや各登録しているサービスの住所変更手続きもひとつひとつ処理しないといけないしで、下調べをほとんどせずに引っ越しを決めた僕はもうめちゃくちゃ大変だったのを覚えています。。
京王線のある仙川に住んで、東京での新生活は最初はとてもワクワクしたものの、「知らない土地で、知り合いもおらず、はじめての一人暮らしで、はじめての職種」という新生活の不安四天王みたいな状況だったので、それまで実家でぬっくぬくと育ってきた僕は、それはそれは本当に心細い毎日を送っていました。
そしてすぐに2度目の引っ越しが...。あれほど「もう引っ越しはしたくない」と思ったのに。
上京して約半年。
新しい仕事にも慣れ、バリバリ楽しく働いていたある日、以前から交友のあった社長から「うちで人事的な感じで働かない?」とスカウトを受け、提示された条件もそこそこ良く、求人広告の代理店で働いていたこともあり人事という職種にも興味があったため、転職を決意。すぐに働いていた会社に辞める旨を伝えることに。
上司には「昨日は飲み会で『僕、やってやりますよ!!』とか言ってたのに、鶏みたいな奴だな」と言われました。ごめんて。
引っ越しは価格を抑えるため、はじめて引っ越し見積りサイトを利用したのですが、見積りに出した瞬間から数日間、朝から晩まで営業電話が鳴りまくりでマジでめちゃくちゃウザかった。
早くも3度目の引っ越し。
知り合いの社長さんのスカウトを受け、二度目の転職から約半年。
僕は精神的にボロボロになっていました。
実際に働いてみると人事の仕事どころか、ひたすら毎日厳しいノルマを課され、朝から晩まで営業電話をさせられまくっていたからです。あとは単純にホームシック。
この辺りの話は別のコラムでもお話しさせていただいているんですが、とにかく毎日の仕事が嫌で嫌でたまらなく、最終的には冬のボーナスが支払い直前になぜか25%カットされるという完全に意味不明な仕打ちを受けたために退職。実家がある大阪に帰ることになりました。
そして4度目の引っ越し。
東京から逃げ帰るように実家に戻ってきたので、次の仕事など全くノープランだった僕は、ボロボロになった心を癒すためにひたすら毎日ダラダラしていました。
昔からインターネット漬けの日々だったのですが、この時期はひたすらインターネットという名の海の底に引きこもりまくっていましたね。
特に東京に引っ越したタイミングで知った「オモコロ」にはドハマりしていて、いつしか「オモコロで記事を書いてみたい..….!」と思うようになり、その足がかりとしてブログをはじめました。
オモコロ
そのブログが多くの方に見てもらえるようになって、メディアの方から「うちでライターとして記事を書きませんか?」と連絡がきたことで僕のライターとしての人生が始まったのです。
仕事として記事を書き始めた僕はあることに気付きます。
「実家だと、マージで全然仕事せん」
そうです。なにもしなくても出てくるご飯や、放り込んでおけば勝手にやってくれる洗濯など、実家の居心地が良すぎることで「別になにもしなくても生きていけるな」というマインドが働いてしまい、なかなか仕事をする気にならなかったのです。
危機感を覚えた僕は自分のケツを叩くため、改めて一人暮らしをする決意を固めたのでした。
実家には約1年ほど住み、この時期からSNSで知り合ったブロガーやライター仲間と仲良くなったり、仕事が増えたりしていくうちに、大阪と東京を行ったり来たりする生活になっていました。
ついに5度目の引っ越し。
大阪の実家から電車で30分ほどの場所に引っ越した僕は、大阪と東京で二拠点生活をしながらライター仕事を頑張っていました。
何件かバズる記事を制作していくうちに、少しずつ企画を考える仕事だったり、プロモーションを手伝ったりと書く以外の仕事が増えてくると同時に、「この人は人生何週目なんだ?」と思えるようなすげぇ人達とも知り合えるようになり、とても刺激的な日々。
大好きなオモコロの創設者であるシモダさんと仕事を通じて直接会うことができ、その後も仲良くしていただけたのが最高に嬉しかったです。(スマホの待ち受けはシモダさんとのツーショット)
東京では、よく「こっちには引っ越してこないの?」「絶対こっちに住んでいた方が仕事も増えるよ」と言われていたのですが、「ネットを通じて仕事をしているのだから、どこに住んでいようが関係ないっしょ!」というちょっとした意地もあり、なかなか踏み出せずにいました。大阪にいれば大好きな家族にもすぐに会えるし。
そんな感じでこの家には2年ほど住んでいたのですが、シモダさんから「大阪で両親の近くにいることももちろん親孝行だけれど、東京で仕事を頑張って大きく稼いで、どっか良いところに連れていくとか、有名になって自慢の息子になることも良い親孝行なんじゃない? ニシキドくんはそうなれるよ」というありがたい言葉もあり、東京移住を意識するように。
そうしている間にも東京の仕事や友人知人は増え続け、いつしか1か月のうち3週間は東京にいるという訳の分からない状況になっていたため、2度目の上京を決意したのでした。
(1か月に大阪と東京を4往復とかしてました。売れっ子の芸人か?)
そして現在。。
最初に東京から逃げ帰った時、「もう二度と東京に住むことはないだろうな」と思っていたのですが、人生とは分からないものですね。
当時抱えていた不安はもうなにもありません。さよなら、不安四天王。
慣れ親しんだ土地で、たくさんの友人もいて、一人暮らしにも慣れ、仕事も楽しい。
新しい部屋は8畳ちょっとの1Kで、バストイレ別でウォシュレットや浴室乾燥など、欲しいものを妥協せずに決めたところ、10万円という先行きも分からないフリーランスが住むにはアホみたいに高い家賃を払い続けることになりましたが、かなり気に入ってます。
シャワーの水圧がちょっと弱いのが難点ですが...。
忙しくてまだ荷ほどきも済んでいない状態ですが、5回もの引っ越しを一緒に経験した思い入れのある家具たちと共に、これからも頑張っていきたいと思います。
引っ越しは何回やっても「マジのマジでダルいな。マジで」と心の底から思いますが、こうして「新生活がはじまるぞ!」という高揚感は自分にとても大きなエネルギーを与えてくれるな...…と改めて感じました。
さぁ、6回目の引っ越しはいつになるのか。
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